
支払決済手段としての「単一性(Singleness)」、「互換性(fungibility)」
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(出所:Bank for International Settlemtnts, BIS)
国際決済銀行(Bank for International Settlements, BIS)は2025年6月に公表した論文“The Next-Generation Monetary and Financial System”において、通貨が満たすべき要件として「単一性(Singleness)」、「弾力性(Elasticity)」、「健全性(Integrity)」の3つを挙げた上で、ステーブルコインはこれらの要件を満たさないと評価しています。では、「単一性」とはどういうことなのでしょうか。この論点も、トークン化預金とステーブルコインの信頼構築の仕組みと関わっています。
例えば、A銀行に口座を持つX企業が、B銀行に口座を持つY企業に100万円を支払う場合、最終的にはX企業がA銀行に持つ預金の残高が100万円減少し、Y企業がB銀行に持つ預金残高が100万円増加することになります。これが「支払い」を構成する前提として、「A銀行への預金100万円とB銀行への預金100万円は同じ価値を持ち、互換性がある(fungibleである)」ことが求められます。
歴史上、中央銀行がない中で銀行(例えば、米国における「山猫銀行」)が濫立していた状況では、このような要件は必ずしも満たされていませんでした。そこで各国は中央銀行を設立し、あわせて銀行規制や預金保険制度を整備することで、銀行預金を同額の中央銀行債務(現金、中央銀行預金)と直ちに交換できるようにする制度を構築しました。この制度の下、A銀行の預金もB銀行の預金も、窓口やATMで直ちに現金と換えられる訳です。このことを介して、「A銀行の預金とB銀行の預金は同じである」という「単一性」の要件が満たされることになりました。
一方、BISが「ステーブルコインは単一性を満たしていない」と評価する理由は、ステーブルコインがそれぞれ特定の裏付け資産をもとに発行されているため、― 投資信託が銘柄ごとの個別性を持つのと同様に ― 個別性を免れないためです。
例えば、100%短期国債を裏付けとするステーブルコインと、100%中央銀行預金を裏付けとするステーブルコインは、どちらも価値は非常に安定的でしょう。
ただ、全く同じかといわれれば、そうではありません。前者は、これを現金化しようとすれば短期国債を市場で売却する必要があり、市場環境次第では必ずしも「額面通りで直ちに」現金化できるとは限らないからです。このように、ステーブルコインは厳密には「単一性」を満たさず、また、その価値が法定通貨の価値から乖離する「ディペッグ」が起こる可能性が皆無ではありません。
もっとも、単一性を厳密に満たさないことが大きな障害とならないケースもあります。例えば、ある暗号資産への投資から、別の暗号資産への投資に乗り換えるまでの待機資産としてステーブルコインが使われるケースや、「ある通貨をいったんステーブルコインに交換し、さらに別の通貨に交換する」という形で外国送金に用いる場合が考えられます。これらの場合、手持ちのステーブルコインの現金化や、別のステーブルコインに交換するニーズはほぼ考えられないからです。
支払決済手段としての「健全性(Integrity)」とKYC、AML/CFT
また、トークン化預金についてもステーブルコインについても、現金のような有体物としての「体積」や「重さ」などの物理的制約を受けず、多額の取引に使われ得ることを踏まえれば、KYC(顧客確認)やAML/CFT(反マネロン・テロリズム金融)の対応はしっかり行う必要があります。これらが万が一にも、ランサムウェアなどによる攻撃における身代金支払いなどの手段に使われやすいものとなっては、金融インフラへの信認喪失につながります。
トークン化預金については、ユーザーはもともと銀行に口座を持っていると考えられ、したがって銀行が既に行っているKYCやAML/CFTの対応をそのままトークン化預金にも適用できます。一方、ステーブルコインについては、銀行口座とは切り離された形で使われることが想定されますし、さらに「持参人払式証券」に近い形で所有や移転の構成が行われれば、匿名での利用が可能となります。したがって、別途、KYCやAML/CFTの措置がきちんと採られる必要があります。
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デジタル通貨フォーラム 山岡 浩巳座長
支払決済手段としての用途
これまで見てきたようなトークン化預金とステーブルコインの違いは、その用途の違いにも結び付いています。
ステーブルコインへの関心が高まるきっかけとなった、米フェイスブック(現:メタ)が主導した「リブラ」計画では、用途として新興国を含む海外送金が掲げられていました。また、ステーブルコインの発行残高のほとんどを占める米ドル建てステーブルコインの主な使途は暗号資産投資と考えられており、これらは、これまで概観したステーブルコインの特性とも整合的です。
一方、トークン化預金については、預金にブロックチェーン・分散台帳技術を組み込むことで、その「プログラマビリティ」を活かすこと、具体的には企業間決済を含む通常の取引における資産側との連携や物流・商流との組み合わせなどが、その使途として想定されています。
「銀行発行ステーブルコイン」、「預金を裏付けとするステーブルコイン」
もっとも、最近では「銀行発行ステーブルコイン」、「預金を裏付けとするステーブルコイン」も提案され、トークン化預金とステーブルコインの関係は一段と複雑になっています。
このうち、「複数の銀行の預金を裏付けとするステーブルコイン」については、その償還をどうアレンジするかという複雑な問題が新たに生じますので、ここでは捨象し、以下では単独行の預金を裏付けとするステーブルコイン、すなわち、銀行が顧客の預金を裏付けとして当該顧客に等価のステーブルコインを発行する場合を想定することにします。
この場合、銀行の信用創造機能は維持されますし、KYCやAML/CFTも、もともと銀行が顧客に対して行っている事務がそのまま適用されると考えられます。したがって、「トークン化預金」と「預金を裏付けとするステーブルコイン」の違いは結局、従来からの預金の保有・移転に関する枠組みをそのまま用いるか、それとも持参人払式の証券に近い枠組みに作り直すかという点が大きいように思います。
もちろん「トークン化預金」も「預金を裏付けとするステーブルコイン」も、適用する技術はほぼ同じですので、その法的な構成についてはいずれの選択肢を採ることも可能でしょう。そして、それぞれの法的構成のメリット・デメリットは結局、各国の債権や預金、有価証券などに関する法制度に左右されると考えられます。
銀行インフラにおける銀行預金の重要性
いずれにしても、さまざまな議論を経て、ブロックチェーン・分散台帳技術を金融インフラに応用していく上でも、やはり銀行預金の活用が重要との認識は、共有されつつあるように思います。
デジタル通貨フォーラムでも、2020年からの検討の結果として、これからの金融インフラにおいても、「単一性」を備えた預金抜きにインフラを考えていくことは難しく、この預金を新技術の応用によってイノベートしていくことが望ましいとの結論を導き出しています。
米国や日本など多くの国々の歴史を振り返っても、当初、支払決済手段の発行者が濫立し金融システムが混乱する中、中央銀行が設立され、預金の「単一性」が確保されることによりシステムは安定化を取り戻しました。これにより形成された中央銀行と商業銀行の「二層構造」によって、単一性を備えた支払決済手段をインフラの中核として供給するというシステムは、今や世界中の国々が採用するに至っています。
このような歴史も踏まえれば、「制度的な裏付けによって単一性を備えた銀行の債務が、企業・個人間も含めた中核的な支払決済において中核的役割を果たす」という姿は、― その法的な構成は別としてー 今後も維持されていく可能性が高いでしょう。
話者紹介
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山岡 浩巳
デジタル通貨フォーラム座長
フューチャー株式会社取締役 グループCSO
日本銀行において調査統計局景気分析グループ長、同企画室企画役、同金融機構局参事役大手銀行担当総括、金融市場局長、決済機構局長などを務める。
この間、国際通貨基金日本理事代理、バーゼル銀行監督委員会委員なども歴任。
